昔、若奥様を始めたころ。
姑は家付き娘というお宅の若奥様になった良い子ちゃん。
当時、姑は51才だったんだねぇ。今指折り数えてビックリぽん。
敗戦後、お年頃の娘さんは結婚相手を探すのが大変だった頃、無事に復員してきた従業員を婿に迎えられたのだって。姑は二十歳で第一子を出産しております。当時の配偶者の姉ね。
若奥様をしていて、得々と話して聞かされたことのなかで、ビックリした(呆れた)ことが幾つがある。
二人目を出産した後も(姑が25歳くらいの頃だと思う)縁談が幾つも来て、断るのが大変だったって。へーーー、なんで?と思ったけれど、結婚したって、生活は何も変わらなかったらしいと聞いて何となく納得。お友達と泊まりがけで旅行に行ったり、着飾ってお出掛けしたり、お買い物したり。子供は母親が面倒見ているし、ばあややねえやもいるから家事など何もする必要ないし。敷地にある別棟の工場で働いている婿と一緒に出かけることもないし。父親はばりばり表に立って仕事しているし。いいお家のいい年したお嬢さんが一人でいるのだからと、世間様は思い込むから縁談も来るって事だったらしい。
戦争中も、敗戦間際で食糧難になっている頃であっても、仕事が軍事関係だったからか、白まんまにお砂糖使ったすき焼きを食べていたと言う。勤労奉仕に行く時はもんぺをはいたけれど、それ以外にはふだんの装いに戦争中だからという制限は無かったそうだ。それも自慢だって。
普通の感覚だと、どういう反応を示すのか判らないが、少なくとも良い子ちゃんは聞いていて不愉快きわまりなかった。普通の顔で相づちを打つのが精一杯。
自分の考えや、行動が基準になったら、人がすることって非常識となるのは仕方のないことかも。でも、非常識と指摘される方はたまったモンじゃない。
最初の頃はいちいちカンに障っていたけれど『万年お嬢様で、井の中の蛙の世間知らずなんだ』と思えば、ある程度聞き流せる様になってきた。
すごいいけず(意地悪)を言われた、された!と憤ったこともあるが、もともと後先考えることもない、ただの世間知らずのお嬢が言ったりやったりすることなのだ。五月の鯉の吹き流しよろしく、腹に何もないのだから、聞き流せればそれで済む。
彼女とのつきあいは14年ほどで終わってしまったけれど、多分あの家の中で、唯一の良い子ちゃんの理解者は姑だったのかもしれない。
あの家を出た後も、時々夢の中に現れる彼女は、いつもにこやかな笑顔である。
万年お嬢は、とても綺麗な人であった。