他所の若奥様を始めた頃、週末には嫁いだ義姉と義叔母が夫と子供を連れて実家に帰ってきて大家族になっていた。夕食が終わりお風呂にも入ると、それぞれの夫達は自宅に帰る。というか、彼らは泊まることなしに帰宅させられ、次の日の朝は昼食前にまたやってくるというスケジュールだった。
婿を取り家を継いだのは姑だったのでか、女達の権力が凄まじかったのである。勿論嫁以外は、である。
当然、彼らの食事を作るのも洗濯をするのも嫁の仕事である。義姉には4歳を頭に2歳0歳と3人の娘がいた。この子達の子守も嫁の仕事である。週末には私も実家に行くことがあるが、義叔母や義姉のスケジュールが優先だったし、当時の配偶者が好んだゴルフのスケジュールも優先だったのでなかなか行けない。電車で行くことも出来るが「一人で実家に行かせるのは世間体が悪い」という訳のわからない理由で、配偶者が同伴以外での実家行きは難しかったのである。
大人数分の料理も大家族の洗濯も、嫁の勤めと思えばそれほど苦にはならなかったが、子守と姪達の洗濯物、殊に姪のオムツの洗濯にはなかなか慣れる事が出来なかった。
女達がお菓子を囲みお茶を飲みながらおしゃべりに高じている横で、姪達に本を読み聞かせたり、人形のごっこ遊びの相手をしたり、居間に隣接した応接間においたピアノ(ピアノが弾けるのが本当なら嫁入り道具にピアノももってこいと言われて持参させられた)のひき方を教えたり。0歳児がぐずぐず言ったらオムツを替えるのも、ミルクを飲ませる(早々に母乳からミルクに変えていた)のも嫁である。
現在では紙おむつが主流だが、当時はまだ布オムツ全盛だった。義姉は子供が3人では大変であろうと、実家が手配した貸しオムツを利用していた。使ったオムツは袋に入れておいて返却するらしいが、なぜか実家に来たときには洗濯して使い回していた。使用済みのオムツは夜帰宅する夫が持って帰ればいいだけだと思うが、(洗濯担当の)嫁がいるのだからこちらで洗えばいいと言うことらしい。
大のオムツも小のオムツも洗うのは私である。子守をしながら洗濯も、料理もするのである。
3人の幼児がおとなしくしていることなどありえない。今考えると馬鹿みたいだが『(姑は)出来るはずのないことを(私に)任せるはずがない』と本気で思い込んでいたので、任せられたことに必死で取り組んでいた。
「あんたも子供産んで育てるんだから、その練習をさせてあげてるんだよ。感謝しなさいね」と言われて、何となく理不尽だと思いながらも従っていた。馬鹿につける薬はないというが、これほどの馬鹿は他にはいないだろうな。
そのうち自分の子供を持った。実家で息子のオムツをうっかり置きっぱなしにしたら母にきつく叱られた。「オムツの洗濯を人に任せていいのは床上げまでだ」とのこと。「赤ん坊の体調変化を一番早く把握できるのはオムツの観察なのだから」と言う。
母に叱られたときに、初めて姪達のオムツを洗わせられていたことを話した。その時の母の怒りは凄かった。「子供産んだときの練習云々」については、「そんな事言われて従っていたなんて馬鹿じゃないの!」と私にまで怒りの矛先が向く始末。
確かにね。おっしゃるとおり。
それから数年後。母方の祖母が重度の認知症になり粗相が頻繁になった頃、祖母の粗相の始末がちっとも苦にならなかったのは、姪達のオムツ洗濯という経験があったからかもしれない。等といい子ちゃんは考えるのである。