初めて嫁入りしたとき、(新婚)旅行中に私が持参した嫁入り支度の御披露目があったらしい。
本当なら?嫁の実家からもお手伝いに馳せ参じるべきだったらしいが、そんなことするのを知らない母はスルー。
近所の方や、姑の友人、叔母の友人、義姉の友人が招かれ、嫁入り支度で持参した下着の数まで曝されると言うとんでもないことが当たり前に行われたらしい。
新生活が始まってすぐ、自分のタンスに見慣れないもの(正確には知らない下着)が多数入っているのに気づいて姑に尋ねると「あまりにもタンスの中身が貧相だったから○○ちゃん(義姉)や△△ちゃん(義叔母)に新しい下着を持ってこさせて、いっぱいにしてあげた」と言う。なぜそんなことをせねばならないのか聞いて、初めて自分の下着まで他人の目に晒されたと知ったのである。
着もしない服でも、下着でも。数があるほど良いと言うことだ。
その馬鹿な論理で行くと、着もしない着物を沢山持っている嫁は『お披露目のために寄せ集めた借り物で箪笥をいっぱいにしている』と思われるものらしい。私の年代でも、すでに日常に着物を着る人は限られていたので、お披露目で目撃された着物はちゃんと嫁の持ち物であることを証明するために、着て見せて歩くのは必要だったと言うことらしい。馬鹿らしい!
お披露目の手伝いに来なかった母のことも、かなり長い間ねちねちと嫌みを言われた。(結婚とは)できあがった家族の中に他人が入るのだからある程度の軋轢は仕方ないと考え、ただ頭を垂れて、嵐が行き過ぎるのを待つ心境だった私は常に良い子ちゃんだったのである。
たかだかご近所への挨拶回りに着る着物を、色留め袖や訪問着と指定した姑と、閉まったドアの向こうで話されていた「帳尻あわせ」の言葉の意味は、あの家を出て暫くしてやっと判ったのであった。