生活の中の音に敏感すぎるのかも?

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幼い頃から、生活の中の音に敏感に育てられていたように思う。

例えばお炊事。

洗い物をしたり、物の扱いなど、音を高く立てると叱られた。

「そんなに乱暴に扱うと、数が増えてしまうよ」と言われたものだ。

数が増える=割れる(一つのお茶碗がいくつかのかけらになってしまうと言う意味)

上手い事言うなぁ。と幼心に思ったものだった。

数が増えても、使い物にならない増え方だからね。

無駄に数を増やすまいと思わせるのは凄いな。

良い子ちゃんは、滅多に食器を割らない。

まぁ、ここ数年手元が狂ったり、力が入らなかったりで、落として壊すことが2度ほどあったけれど。絶対数は少ないね。だから、食器が減らないし、入れ替わらないので困る程。

実家でも、セットは最初に揃えたままの数で変わらなかった物が、ここ20年ほどで、5客セットの物が4客に、6客セットの物が2客にと、ずいぶん棚の中がばらばらな印象になってしまっている。

これは、洗うときも、片付けるときも、派手な音を立てても何も思わない人が、台所の仕事を担当するようになったからなのだ(別名。弟の妻ともいう)。

良い子ちゃんも、色々なところで洗い物をすることが増えたが、他所様では音を立てないように・数を増やさないようにと躾けられていないのだなと思える事が多かった。

まぁ、普通はそうなんだろね。

長じて、トイレの落とし紙がトイレットペーパーなるものに取って代わってから。

勢いよくペーパーを引き出す「カラカラカラ」という音。

これも「みっともない。音など立てずとも必要量を切り取れるでしょう!」と言われた。

確かに。勢いよく引き出すと、必要以上の量を使うことになる。

適正な量(長さ)というのは、それぞれの感覚で違うだろうけれど、トイレにある張り紙に「トイレットペーパーを大量に流すのはつまりの原因です」などあるのは、大量に使うのが当たり前になっている人が多いからなのかと思う。

以前、友人が訪れた時のこと。

たった一人の来訪だったにもかかわらず、新しくしたばかりのロールが無くなってしまい、驚いたことがあった。

職場のトイレに入っている時等、隣接の個室から響いてくる「カラカラカラカラカラ・・・」と、延々と続くペーパーを引き出す音に呆れてしまうこともしばしばである。

わざと、手を洗った後ぐずぐずと時間を稼ぎ、誰が出てくるのか確かめてしまう、いぢわるばあちゃんは良い子ちゃんである(笑)

若い子が多いんだよねぇ。それも、絶対に自分でトイレットペーパーを買ったこと無いだろうなって子たち。結構な年齢になっていても、親元を離れたことのない子たちは、おしなべてペーパーの大量消費グループに入っているように思える。

あと、ドアの開け閉め。

ちゃんと気をつけて開け閉めしたら、バッタンとかビシャンとか大きな音を立てる事って無いんじゃないのか?

それこそトイレのドア。ガチャン、バッタンとやかましすぎる。

何時も使う個室のドアなんだから。どんな具合に閉まるのか判っているだろうに。

もうちょっと神経使おうよ。何事も丁寧に扱おうよ。と、おばちゃんは何時も思うのだ。

別にいいんだけどね。

ただ、良い子ちゃんは生活の中のそういう無神経に感じられる音が苦手なだけなのだ。

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