ごめんね、でも行ったら傷つくよ、ほんとごめんね

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代の生き方へ *にほんブログ村に参加中!

薩摩の国への旅行は、いよいよ明後日に近付いた。

日曜日には、母が入居している施設で、移動のリムジンバスへの移乗練習をしてきた。

補助しながら自力で足を運んで貰うつもりだったが、この半月で自立は出来なくなっているとの事。車いすからベッドへの移乗なら、なんとか立たせることは出来るらしい。

と言うことで、車椅子に座った状態をキープした形で、抱えてバスに乗せることが必要となり、練習をすることになったのだ。たった15分くらいの練習で、全身筋肉痛の良い子ちゃん。

練習の途中で泣き出す母。「ごめんね、でも飛行機に乗るのに必要な練習だから、我慢してね。」母の涙を拭きながら話しかけると「判りました」と答える母。

何とか練習を終えて、居室へ戻り、荷物も発送して帰宅した。

今朝、夫の携帯に姉からメールが届いたって。「あちらの皆さんによろしく、本当に私も行きたかった」とあった。判っている、出来れば一緒に行けるのなら、一緒に行くべきだと思う。が、無理なんだ。

夫は、日曜日の報告の中で「持参するオムツの量が多いので発送の箱が一杯になりました」と知らせていた。暗にオムツが必要であること=排泄介助が必要であるということを知らせたわけだが、彼女には伝わっていない。交通機関の乗り降りも要全介助。食事も、トイレも、着替えも・・・・何もかも要全介助。その意味は、彼女に理解しろと言っても無理なのだ。

おむつ大

トイレに連れて行って、座らせたら、それで済むのではない。

トイレに連れて行ったら、自力で立っていられないので、倒れない様に支えながら、排泄できる様に準備をせねばならない。オムツを外すタイミングで、上手く座らせないと粗相に繋がる。排泄物で衣服が汚れてしまうのだ。もちろん、自力で排泄コントロールも出来ないのだから、きちんと介助せねばならない。タイミングがずれれば、おむつを交換することにもなる。お尻拭きや介助用のグローブも一箱準備された。

母の認知症が進み始めた頃から、入浴には良い子ちゃんが一緒に入ることにしていた。身体を洗うのを見守り、頭を洗うのも見守る。必要ならば手伝うこともあった。浴槽にも一緒に入り、話をしながら温まらせて、寝間着を着るのも手伝っていた。

姉は「信じられない!絶対にお母さんと一緒にお風呂になんて入りたくない」と言う。「自分でお風呂に入れないなんてあり得ない、甘やかしすぎだ」と怒っていた。病気が進むと、自分の身の回りのことも出来なくなってくる。怒るのではなく、見守りながら、必要に応じて手伝うことというのが受け容れ難かったのかな。

最近では、変わってしまった母の状況を、かなり受け容れられる様にはなったけれど。

排泄関連の事って、とてもデリケートだし。いくら身内でも、身内だからこそ受け容れられないのではないかと思う。

世話する相手が増えるからとの理由で、姉の同行を嫌だと言った良い子ちゃんだ。それも正直な気持ちだが、排泄全介助の母親の状態を見ていなければならない、逃げられない3日間。開き直る強さを彼女に求めるのは酷だと思うから、一番酷い理由をつけて同行を拒否したのだ。

母の身体を洗うのもいやがる娘に、排泄の介助を手伝えと言って出来るのだろうか?

ここは、良い子ちゃんはとことん悪者になっても構わないから。ただでさえ、彼女の気分に振り回されているのに、これ以上、傷ついてボロボロになった彼女をケアする余裕など無いのだ。

準備は着々と進んでいる。けど、何か忘れている気がして仕方がない。

なる様になる、じゃなくて。

「なる様にする!」そう己に言い聞かせて、薩摩に國へ出かけて参ります。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代の生き方へ




  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA