上方の母が、こちらの母の通夜に駆け付けてくれた。
娘が付き添って、連れてきてくれたのである。
通夜の前に到着し、通夜が始まる前に去っていったが。
娘が東京駅で新幹線に乗せるまでと、お守りをしてくれて助かった。
新大阪には弟が迎えに出てくれているとのこと。
娘は、改めて告別式に参列してくれるのだという。
通夜も、告別式も。
結局弔問客の受付・会計・諸手続等々。
全てを良い子ちゃんが一人でやらねばならなかった。
はなっから脳筋などアテにはしていなかったけれど、酷すぎる。
娘にはそのつもりがなかったかもしれないが、本当に助かった。
斎場から戻り、解散して、実家に母の遺骨を連れて帰るのも手伝ってくれたのである。
通夜の受付準備をしているあたしの所へやってきて、
「なぁなぁ、あたし31やけど」
と娘が言う。
続けて「あの人57やったか58やんな?
なんで、あたしでも知ってることわからへんの?
お通夜やで?なんで化粧あんなにケバイの?
なんか信じられへんねんけど。
靴、かかとエナメルやで、こっちはあれでええの?」って。
「言っても無駄だったんだよね」と呟くと
「おかーさん。きれたらあかんで。良い子良い子してあげるさかい。」
と、頭をなでてくれた。
お嬢ちゃん、ありがとう。母は何とか持ちこたえます。
彼女がいなかったら、何回か切れていたかもしれない、マジ思う。
斎場から、壺に入った母を連れ帰った。
五十日祭(四十九日)迄は家で御守りするのだが、
その場所についても一悶着があった。
簡易式の祭壇に安置することにしていたのだが、
叔母たちをお泊めすることになったので(それも気に入らなかったらしい)
仮に脳筋の部屋にいて頂くことになったが、祭壇が邪魔だと言うのだ。
「一晩だから、床に置いたらいいじゃん。何で駄目なの」って、あなた。
叔母たちがいてくれて助かった。
「○○ちゃん、そういうことしてはいけない」と言って下さったので。
結局、物置になっていた部屋に祭壇を設置することで落ち着いた。
しかし、ろうそくに火をともす時にも「火事になるから家の中で火をつけないで!」
とヒステリックに騒ぎ立てたのには、こちらも意地になってしまったけれど。
とりあえず、一段落してから、娘を駅に送っていく途中で。
「しゃぁない。頑張れ!」と何度も何度も慰められて、気を取り直したのであります。
次の日、薩摩へ帰る叔母たちを、空港リムジンバス乗り場へ送り、
「これから、○○ちゃんをよろしくお願いします」って言われたって。
「△△ちゃん、お母さんの代わりにお願いね」と言われた夫が
「無理です」と小声で応えていた。
おばさまたち、あたしにだって無理でございます。