時々、テーラーが弟子をつれてやって来る家だった。最初の嫁ぎ先ね。
配偶者は得々とした表情で、テーラーが言うままに腕を上げたり足を開いたり。採寸の時も仮縫いの時も、何故だかその場にいつも立ち合わされていた。
誂えるスーツやジャケットのお支払は姑。舅はスーツを着ることもあったが、良いものであっても誂えることはない。婿養子なので?と言うことらしい。どれだけ稼ごうと、使うのは家付き娘の妻であり、婿は買って貰うもので満足せねばならないことらしい。
舅に聞いてみたことがある。「お父さんは採寸なさらないの?」舅は「デパートで買ったかて一緒や」と淡々と答えた。
スーツやジャケットの仮縫いが終わると、必ず百貨店への買い物へ付き合わされた。新しい靴を買いに行くのだ。新しく誂える服に合わせた靴が必要なのだと。勿論買うのはヤツのものだけ、支払は外商回しで自分の懐からは出ていかない。
近々冠婚葬祭等があって、そのための誂えならば納得だが、そうじゃないのが笑えると言うか、呆れると言うか。
新しい服に新しい靴。パリッと決めて出掛けるのは北新地(関東なら銀座って感じ?)である。取引先とかとのお出掛けじゃない、大学の御学友(金持ちのボンボンばかり)達と飲みに行くのだ。
「一週間でベンツ一台半飲んだ」なんて得意気に話して聞かせるのだ。そこで『すごーい😆⤴』なんて反応を示せばよいものを、良いこちゃんは眉をひそめて『誉められたことじゃないと思う』なんて言っちゃう訳ですわ。そりゃ面白くないよね。可愛くないよ、嫁さんのこと。
行動を控えるどころか、余計に新地遊びに拍車が掛かる。嫁は姑に叱られる。止めたって出ていくのにさ。止められないのは嫁の責任なのだそうだ。そんなの知るか❗でも、そんなの言えない。
テーラーが何時も言う「若さん、ゆとりはこれくらいがよろしいか」とか「若さん、このラシャはよう映ってはりますな」のが、いつ聞いても「馬鹿さん」に聞こえて仕方なかった。
やってることって馬鹿ばっかりなのだから。
腕の良いテーラーだった。私の母方の祖父は紳士服のテーラーをやっていたことがあり、当時は職人を何人も抱えていた。祖父のところへ行った時にはよく店に行ったので、仮縫いの立ち会いも初めてではない。いろんな人を見てきたけれど、でもこんなに誂えの紳士服が似合わないのってねぇ。
似合っているつもりだけれど、そうじゃないね、服が泣いている様に見えた。決してテーラーのせいじゃない。
ひよっとしてとして、あのテーラー聞こえないように、或いは悟られないように「馬鹿さん」って呼んでたのではなかろうか? 真相は闇の中。