食べられる植物が一番好きだけど、食べられない花も好きだ。
いろんな花がある中で、なんとなく好きなのは椿の花。
実家のあるあたりは、45年前は造成したての新興住宅地。
山を切り開いた土地なので、周りには当たり前に鳥獣保護区があった。
父と散歩してて、イノシシ猟の散弾銃を撃ち込まれたこともあったっけ。
そんなところだから、春先になるとあちこちに藪椿が沢山沢山咲いていた。
枯れた野山に、鮮やかな椿の花。つやつやした葉っぱの中に赤い花弁と白い蘂の先の黄色とのコントラストがとても綺麗。
庭には、いろんな種類の椿が植わっていたので、椿があるのはとても当たり前の風景だった。
藪椿はもちろん庭にはない。庭にあるのは白玉とか曙とか侘び助とかなんちゃらとか。
昔は全部名前を言えたし、ちゃんと見分けもついたのに。情けなやーーー。椿を愛でないのが当たり前の生活になって10年以上経つと、全く判りませぬ。
一昨年の3月。父が逝った後に、庭を廻ってたくさんの椿を切って貰った。
大事に抱えて帰り玄関に生けた。
朝晩水を換えて、最後のつぼみが開くまで保たせた椿が落ちた時には、4月も終わろうとしていた。
今年の3月の三回忌から戻る時にも、またたくさんの椿を切って貰った。
実家玄関脇の卜半(ボクハン)椿はとても大きな木になっていた。真っ赤な花弁に真っ白な蘂。月光卜半というのだそうな。
月光があるのなら日光もあるの?と聞くと、得意げに母が切ってきたのは日光卜半。最後の花だって。
白い牡丹みたいな椿ってなかったっけ?と聞くと「それは白卜半。もう終わっちゃったわよ」と宣う。
日光卜半以外にも、これが最後という椿を、何枝か切って持たせてくれた。
大好きな椿だけれど、椿が沢山あるのはとても嬉しいのだけれど。
父を見送った光景と重なり、ちょっと寂しくなる。
季節外れの椿の話でありました。