葬儀の時に使った遺影。
通夜の時や、会葬者の案内に使っていたものを
葬祭社の担当者が自宅用に渡してくれていた。
良い子ちゃん的には、絶対に「これお母さんの顔じゃない!」
と思うけど、笑顔を否定する脳筋の主張に負けて
お母さんだけど、お母さんでない表情の遺影を使うことになったあれである。
ブランチの後、夫とつらつら話しているときに(多分アルコールの影響もあると思うが)
「あれ、私いやなの。もっとお母さんらしいのに変えちゃ駄目?」と
夫に訴えたら、彼も「うん。ピクニックに行ったときとかのが良いと思う」と
言うではないか!
我が家においてある、母の遺影である。
脳筋が、まかり間違って我が家にきたところで、
ウチにおいてある遺影にまで口を出させるつもりもないし!
ひとしきり、一時間くらい探していたっけか。
その間、多分今回母を亡くして初めてかもしれない。
涙がこぼれるのを止めることなく、ただひたすら泣きながら写真を探した。
その時に思った。
「葬儀の時の遺影。あたし、ほんとにいやだったんだ!」って。
今、我が家のリビングでは、パジャマを着た母が、
ケーキをのせた皿を持ち、とても嬉しそうに微笑んでいる写真が
私たちを見守ってくれている様に、収まっている。
いいなぁ。
とても穏やかに微笑んでいる母。
いつまで経っても、良い子ちゃんのイメージはこの母である。
この母だから、いいこちゃんは最後までご一緒させて頂いたのだ。
脳筋の選んだ写真の母は別の人。
我が家にある、母の写真は母そのもの。
お母さん、わたしあなたのこと大好きでしたよ。
お母さんの娘になれて、本当に幸せでした。
ありがとう。