常識は常識にあらず-2

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納棺に、夫と脳筋と一緒に立ち会った。

身体を浄める時に「最後に洗って差し上げますか?」と、手伝わせてくれた。

この時「え?やるの?」と言った脳筋には構わず、夫は母の頭を洗った。当然のように場所を譲られて、最初で最後の母の洗髪を脳筋は行った。

まぁ「生きている間に、どうしてもっと色々してあげなかったのだろう」と泣かれるより良かったのかもしれないけれど。

釈然としない良い子ちゃんである。

関東に来て、母の認知症の病状が進んでいるが判った時点から、一緒にいる時には良い子ちゃんが母と一緒に入浴することにしていた。入浴して身体を洗う事が難しくなっていることに気づいたからだった。

脳筋が母と暮らしていたのだが、彼女は自宅で風呂には入らない。

スポーツジムで入浴まで済ませてくるので、たまにシャワーを使うくらいだった。

母一人での入浴が難しいと判った時点で「母の入浴を手伝う」事を、夫を通じて頼んでみた。しかし、返ってきたのは「そんなことして甘やかさないでよ!お母さんと一緒にお風呂に入るなんて気持ち悪い、嫌よ!」という言葉だった。「良い子ちゃんって、なんで、そんな気持ち悪いこと平気で出来るの?」と言われて、言葉を失った。

母は入浴の時にも手が掛からない人だった。ただ、手伝わないとシャンプーとコンディショナーやボディソープの違いがわからないため、洗えなかったり、石けん分を洗い流すことが難しかったのだ。お風呂で、おしゃべりしたりの時間も楽しかったのにな。

そんな時間を独占してしまったことに対して、申し訳ない気持ちである。

認知症を患うと、何でも出来るのが当たり前の母親が、病気とはいえ当たり前のことが出来なくなっていく。

それを受け容れられないのは理解できるが、出来ないことをやれと強要しても何の解決にもならない。出来ないことを責められても、母にはどうすることも出来ず、病状を悪化させるばかりである。

母との意思の疎通が難しくなったあたりから、脳筋もずいぶん普通になってきていた。

しかし、口の周りを拭くのに乾いたティッシュでごしごしこするので、皮膚が赤くなったり皮がむけてしまったり。鼻くそが気になって、一生懸命に取ろうとするのだけれど、母の様子にはお構いなしの為、怒った母が泣き出したり。

脳筋も彼女なりに頑張っていたけれど、相手の立場に立って考えたり行動できないから、上手くいかないのだった。

母はよく「娘の育て方を間違えた」と言っていたが、少々間違えたところで、大人になれば軌道修正の仕方はいくらでもあると思う。

現に、同じ親が育てても夫は常識的な人間である。

確かに、人の忠告を素直に聞けない様に育ててしまったという意味では「育て方を間違った」のかもしれない。

湯灌を済ませ、納棺の時にも一悶着。

自治体によって、火葬の時に一緒に入れられない物がある。

その、入れられない物を「どうして一緒に入れて貰えないの!」と脳筋がごねだしたのだ。

「出棺の時に取り出す」事で、なんとか納棺までたどり着けた。

これから夕方の通夜の受付2時間前までに、やることはまだまだてんこ盛りである。

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