八尾若ごぼうと出会ったのは何時だろう?

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あまりにも「わーごんぼラブ!」だもので、いつからだっけかと考えてみた。

転勤族だったけれど、基本的には薩摩の人間を両親に持つ良い子ちゃんの食生活全般は、多分薩摩地方のものが中心だったのだと思う。転勤先が蝦夷地だったり、お江戸だったりもしたから、その都度転勤先のものが食卓に上がったりもしただろうけれど、家族の口に合わないものは自然と淘汰されていったのかも。

んで、上方で生活する様になってから、若奥様になるまで八~九年ほどあったけれど、学生生活では寮に入ったりもあったし、浪花の食生活を実感する様になったのは若奥様になってからだったわけ。

嫁ぎ先は、大阪駅の近くでありました。

お料理がそれほど得意じゃない姑は、お総菜などを購入することも多かったようです。出前も当たり前だったし。最初はそれに驚いていたが、そのうちそんなものかと納得していくのに時間は掛からなかった。

そんな、ご飯はお外でという選択肢の中に「駅弁」があったのだ。

住まいは大阪駅の近く。でっかい駅なんだから、駅弁なんてぇのも沢山あるわけだ。お店ごとの搬入の時間割もちゃんと判っているあたり、駅弁のお昼ご飯が当たり前って証明だったりするのね。

当時の姑達のお気に入りは「水了軒の六角弁当(だったと思う)」だった。ちまちまといろんなおかずが入っていて、もっそうで抜いた俵型のおにぎりに黒ごまが振りかけてあった(と思う)。年がら年中同じというわけではなく、季節ごとに少しずつ煮物や焼き物の内容が変わるのだ。そんな炊き合わせの中に「わーごんぼの炊いたん」が入っていたのだ。

最初は、蕗の煮物だと思った。でも味わいが違う。ほんの少ししか入っていないので、味を確かめることも出来なかったのだが、阪神百貨店の地下食料品売り場(デパ地下である)のお総菜屋さんの店先で、よく似た煮ものを見つけて味見させて貰ったら、あの味に近かったのだ。

「これなぁに?」ときいたら「わーごんぼや」と聞かされた。

「わーごんぼってなに?」「そんなんも知らんのんかいな、若ごぼうやないか」とお兄ちゃんはこともなげに言う。「若ごぼうって?」「あっちの八百屋に行き、おいてあるさかい」と指さす方に行ってみると、見たこともない葉物野菜があって...

「若ごぼうってどれですか?」「こちらです」「これ、どうやって食べるの?」「炒めて炊いたり、お浸しにしたり。でもたいがいは、天ぷらと煮ますわね」

「天ぷら?」

良い子ちゃんは、上方の育ちではないので、天ぷらと言われると、通常の油で揚げてるエビ天やかき揚げのいわゆる衣を付けて180度くらいの油で揚げる天ぷらしか思い描けないのだ。

しかし、ここで指されるテンプラはいわゆる天ぷらではなく、魚のすり身を油で揚げた「薩摩揚げ系統」のものを言うのだと知らなかったのだ。

うーん。この葉っぱのついた蕗によく似た野菜。天かすと一緒に煮るの?と思い込んだって、間違いじゃないでしょ?

まぁ、紆余曲折は数々あれど、ちくわや平天などを切って、あく抜きしたわーごんぼと炊き合わせる料理は、レパートリーの一つになったのである。

春になったら、絶対に食べたいわーごんぼ。今年は食べられた!あーー幸せ。

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