人工股関節を入れている為、杖をついて歩かねばならない同僚と一緒に帰る時、
良い子ちゃんは押しかけヘルパーとして、彼女のサポートをする。
・・・ってのは、この春までの話し。
今はひざの調子が悪くて、しょっちゅう痛い痛いと呟いている。
だから、杖をついて歩いている彼女と一緒に「ボロボロだぁ」と言いながら
大いばりでエレベーターとエスカレータを使っている。
帰りに、いつも通りエレベーターに乗り込んで地上へ行くボタンを押した。
車椅子に乗った方とサポートをしている同年輩のご高齢のご婦人達と乗り合わせた。
障害のレベルはあちらの方が上である。
エレベーターの中の場所を空けて、乗りやすいように譲り合う。
まぁ、この年代のおばちゃん達なら当たり前のことなんだけど。
エレベーターのドアを閉めようした時、スーツケースやボストンバッグを持った若い女性3人組が「乗せて頂けますか」と声を掛けながらやってきた。
ちょっとつめれば充分に乗れると思ったので、『開』ボタンを押して待ってあげた。
「ありがとうございました、助かりました」と、彼女たちは笑顔で我々に声を掛ける。
「いえいえどういたしまして」と、こちらもつられて声を掛ける。
すぐに地上に着いたエレベーターから、ドア付近にいた女性二人が先に下りた。
下りてすぐに脇によけ、車椅子が出やすいように場所を空けている。
残り一人はコントロールパネルのところで、『開』ボタンを押してくれている。
「どうぞ」と言ってくれるので「ありがとうございます」と声を掛けて下りた。
杖をついている同僚と、痛い膝をかばうのでちょっと変な歩き方になっている良い子ちゃんに
「ありがとうございました、お気をつけて」と3人の若い女性達が声を掛けてくれた。
思わず「こちらこそありがとう、あなたたちも気をつけてね」と返事を返した良い子ちゃん達。
建物の角を廻ったところで、どちらからともなく「当たり前なんだけどね」と言っていた。
「そうなのよ。当たり前の事なんだけど。さりげないお礼とか声かけとかさ。」
「当たり前の事と言葉が、凄く響いたのはどうして?日本語って綺麗だよねぇ」
「いや、綺麗なお嬢さん達が、当たり前の事を言ってるのって感動だね」
「綺麗なお嬢さん達が言うから、余計に綺麗にきこえたのかね?」
「いやいや、当たり前の事をきちんと出来るお嬢さん達と会えたことを幸せだと思おうよ!」
声を掛けると損をするとでもかんがえてるのか?
と思えるようなことが、日常で当たり前になってきている気がする。
ちょっとつめれば、まだ5~6人は余裕で乗れるだろうに、絶対に動かないエレベーターに乗り合わせた人たち。
そんなエレベーターに「すみません、少しつめて頂けませんか」と言いながら乗り込んだら舌打ちされるなんて事も日常茶飯事だったりする。
ドアを『開』けておくボタンを押してくれている人には「ありがとうございます」と声を掛けて下りるとか、ほんの一言が空気をほんわかとあたたかくして、和む空間に変えることが出来るのになぁと考えるから、さりげない一言を心がけているつもり。
言葉が返ってこなくても、悲しいことだけれど『それがあたりまえ』だったのだけど。
今日みたいな事があると「まだこの国、大丈夫だね」なんて言葉が出てきちゃう。
綺麗な人には美しい言動がとてもよく似合う。
そうじゃないことが多いんだけどね。
綺麗ではないけど、言動が美しいというのは心がけ次第で可能かもしれないよね。
せめて言動が美しいおババになりたいと思う良い子ちゃんであった。